第64代横綱の曙太郎さんが心不全で亡くなっていたことが4月11日、分かりました。
死因は心不全、54歳でした。
2017年に突然心肺停止、救急搬送されましたが意識不明の重体となり、一時は生死も危ぶまれる状態に・・・
その後、無事退院できたものの体は動かずほぼ寝たきりで、曙さんは7年間ずっと闘病生活を続けていたそうです。
曙さんは、亡くなる直前、妻・クリスティーン・麗子・カリーナさんに「アイラブユー」の言葉を残して天国に旅立たれたそうです・・・
曙を支えた妻クリスティーン・麗子・カリーナさん
曙と妻・カリーナさんとの出会いは26年前だった
pinterestより
奥さんのクリスティーン・麗子・カリーナさんは父がアメリカ人、母が日本人とアメリカ人のハーフ。
米軍横田基地のアメリカンスクールで仕事をしていました。
カリーナさんの父の友人が曙が籍を置いていた東関部屋と懇意だった関係で、1988年に知り合ったのだそうです。
当時、曙さんは19歳
カリーナさんは15歳だったんだって!
きっと可愛い女子高生だったんだね
最初は日本語がよくわからない曙さんの通訳をしてあげていたのだそうです。
それから数年後に運命の再会・・・!
その後、お付き合いするようになったそうです。
曙とカリーナさんは出会いから10年後に結婚した
曙さんがカリーナさんと婚約したのは1998年のこと。
曙さん29歳、カリーナさん25歳の時でした。
結婚発表会見で奥さんがすでに妊娠5か月であることが判明、「できちゃった結婚」・・・今でいう授かり婚だと話題になりました。
その年の10月に結婚式が行われ、生まれたばかりの長女・麗奈さんをお披露目しています。
1998年といえば・・・曙は長野で開催された冬季オリンピックの開会式で寒風吹きすさぶ中、堂々たる土俵入りを全世界に披露し横綱として抜群の存在感を放っていました。
妻・カリーナさんの「内助の功」で1年に2回優勝!
長男・洋一(ひろし)君のお披露目・右は1998年に生まれた長女・麗奈ちゃん(デイリースポーツより)
1997年5月の優勝以来、ケガの後遺症や「若貴兄弟」と武蔵丸がめきめきと頭角を現したことにより、曙さんは優勝から遠ざかってしまいました・・・
しかし、2000年の7月の名古屋場所で19場所ぶりの優勝をはたします。
また、11月の九州場所でも14勝1敗の成績で11回目の優勝、また年間最多勝を獲得するなど大活躍の年でした。
この「曙復活劇」は奥さんである「カリーナさんの内助の功のおかげ」だと言われました。
しかも、この年には長男・洋一(ひろし)さんが生まれています。
まさに、曙さんにとって絶頂期でもありました。
曙は2001年引退した
曙さんは持病の両ひざのケガの悪化で、2001年に引退。
礼儀正しく謙虚な姿勢を貫いた曙さんは「日本人以上に日本人らしい」と言われていました。
また、引退後は、後進の指導も真摯に行い相撲界でも評価が高かったそうです。
2002年には次男・大二(だいじ)さんが生まれています。
曙は相撲界から格闘技の世界へ!
2003年、曙さんは日本相撲協会に退職願を提出し角界を去りました。
2003年12月31日にK-1デビューした曙さん、当時、格闘技界でカリスマ的人気と実力を兼ね備えていたボブ・サップと対戦しました。
1ラウンドKO負けでしたが、曙が敗北した瞬間の視聴率はNHK紅白歌合戦を越えたそうです。
その後、K-1のみならずプロレスにも参戦。
2015年にはプロレス団体「王道」を立ちあげ、自身もレスラーとしてリングに立っていました。
曙の闘病生活は試合後の心肺停止から始まった
2017年4月11日、福岡で行われた試合後に体調不良を訴え救急搬送されました。
一時は死亡説まで流れましたが、曙さんは一命をとりとめました。
しかし、37分間の心肺停止が災いし、記憶障害も併発。
食事も着替えもままならないほぼ寝たきりの状態に・・・
そんな曙さんをカリーナさんと3人の子供たち、家族みんなで支え続けました。
曙の妻・カリーナさんと子供たちが「もし魔法が使えたら…?」
2009年7月6日、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』のジャパンプレミアで曙さんご一家がインタビューされた記事がありました。
ゲストとして招待されていた曙太郎さんご家族に、ハリーポッターの映画にちなんでこんな質問が・・・
もし魔法が使えたらどんな魔法を使いたいですか?
曙は子供たちに向かって
多分「お父さんを消す魔法」じゃないか?
それを聞いた長男・洋一さんは
オーイエー!
とノリノリだったそうです。
とてもほほえましいエピソードで、曙さん家族の仲の良さが伝わってきました。
今、曙さんのご家族が魔法を使えるならば・・・
「元気だった頃のお父さんに会いたい」なのではないでしょうか・・・
心からご冥福をお祈りいたします。