パリオリンピック卓球で金メダルの期待がかかる早田ひな選手(24歳・2024年7月18日現在)。
4歳で卓球を始めた早田ひな選手、子供時代はめちゃくちゃ強かったというわけではありませんでした。
早田ひな選手を世界で闘えるレベルに育て上げたのは、早田ひな選手が子供のころから通っていた石田卓球クラブのコーチ陣でした。
現在は石田大輔コーチが早田ひな選手の専属コーチを務めていますが、「石田卓球クラブのコーチ陣」とはどんな人たちなのか?
どんな指導をしてきたのか?
15歳の時から専任コーチを務める石田大輔コーチとはどんな経歴の持ち主で何者なのか?
調査してみました。
早田ひなは4歳で石田コーチと出会った
卓球女子日本代表の早田ひな選手(24歳・2024年7月18日現在)はパリオリンピックで金メダル候補の筆頭に挙げられています。
早田ひな選手が卓球に出会ったのは20年前、4歳の時でした。
祖母が卓球をしており、「おばあちゃんと一緒に卓球がしたい」と一緒の卓球クラブに通い始めたことがきっかけでした。
その卓球クラブは石田卓球クラブという有名選手を輩出してきた超名門クラブだったのです。
たまたまおばあちゃんが通っていた家の近くの卓球クラブがそんな強豪クラブだったなんて・・・
本当に運命ってわからないね!
早田ひな選手は4歳の時から石田コーチの指導を受けてきました。
早田ひなの最初のコーチは石田千恵子
石田コーチは早田ひなが左利きだと見抜いた
中日新聞より
石田卓球クラブは石田眞行さんと妻の千栄子さんが1988年に創業した卓球クラブです。
ジュニアの育成に力を注いでおり、数々の日本チャンピオンを輩出していました。
卓球を好きになってもらうことから始めるという石田卓球クラブでは、小学2年生までの子供達のコーチを「女先生」こと石田千恵子コーチが務めています。
早田ひな選手が卓球する様子を見て何か違和感を感じた石田千恵子コーチは、石田ひな選手に「ケンケンしてみて」と言ったそうです。
その時、早田ひな選手は右足でケンケンしました。
早田ひな選手が右足で飛ぶ様子を見た石田千恵子コーチは「この子は左利きだ!」と確信したのだそうです。
早田ひな選手は箸や鉛筆など右手で使う右利きの生活をしていました。
石田千恵子コーチは軸足と逆が利き手である=早田ひな選手は左利きだということに気づき、ラケットを持つ手を左に変えさせたそうです。
このスタート地点での石田千恵子コーチの大発見がなければ、今の早田ひな選手はなかったのかもしれません。
子供時代の早田ひなは目立った選手ではなかった
石田千恵子コーチが早田ひな選手を指導していたのは小学2年生までで、その頃の早田ひな選手の成績はそれほど目立ったものではなかったそうです。
というのも、早田ひな選手の同学年に平野美宇(ひらのみう)選手、伊藤美誠(いとうみま)選手という「2強」が存在しており、この二人が決勝の常連だったと言います。
早田ひな選手は予選リーグを突破しても1回戦で負けたり・・・
この時点では早田ひな選手自身も、将来、日本代表になるなんて考えられなかったそうです。
早田ひなのコーチが石田眞行に変わった
石田眞行の信念「練習の量が大事」
石田卓球クラブの現在のコーチ陣の体制は・・・
・幼稚園~小学校2年生まで=石田千恵子コーチ(女先生)
・小学校3年生~中学校まで=石田弘樹コーチ(石田家長男)
・高校=石田真太郎コーチ(石田家次男)
・早田ひな選手専属=石田大輔コーチ(石田家三男)
となっています。
そのすべてを総括するような形で、石田眞行コーチ(男先生)がいるのですが、早田ひな選手が子供時代はまだ石田家の3人の息子さんたちは石田卓球クラブで指導者をしておらず、石田眞行コーチが小学校3年生以上の指導をしていました。
石田眞行コーチは「練習は質も大事だけど、とにかく量が必要」という信念のもと、世界に通用する卓球選手になるのは10000時間の練習を要するとおっしゃっています。
早田ひな選手も平日は夕方6時から夜9時までの3時間、土日祝日は朝の9時から夕方5時まで(途中お昼休み1時間)の7時間、1週間に26時間の練習をこなしました。
この練習量を確保することができたら8年で目標の10000時間に到達するのだそうです。
早田ひなはコーチの教えを守る真面目な子供だった
Nittakuより
夏休みなどの長期休みに入ると、石田卓球クラブの子供達の生活は・・・
・朝8時から10時まで練習
・10時から12時までは勉強
・昼ご飯
・昼ご飯のあとは午後3時まで「昼寝」
・午後3時から夜の7時~9時くらいまで練習
という毎日なのだそうです。
昼食後に昼寝をさせるのは「背を伸ばすため」なのだそうです。
世界で闘えるようになるには身長の高さと手足の長さが欠かせないため、石田卓球クラブでは子供たちに「牛乳飲んで昼寝すること」を推奨しているのだそうです。
早田ひな選手は牛乳を1日1リットル飲んで、しっかり昼寝もしていたようです。
現在の早田ひな選手の身長は167センチと日本人女子にしてはかなりの高身長です。
石田卓球クラブでの「牛乳&昼寝」の効果があったものと思われます。
ちなみに、石田卓球クラブでは炭酸飲料とスナック菓子は禁止らしく、早田ひな選手はそのルールを絶対に破らない真面目な努力家だったそうです。
早田ひな選手は中学時代から徐々に頭角を現し始めました。
2014年4月、若干13歳でITTFワールドツアーにデビュー、当時史上最年少で決勝に進出します。
早田ひな・石田大輔コーチの経歴は?
早田ひなのコーチ・石田大輔の経歴
2015年の夏、中学3年生だった早田ひな選手に石田大輔専任コーチ(いしだだいすけ・44歳・2024年7月現在)が付くことになりました。
石田大輔コーチは、石田卓球クラブを創設した石田眞行&千栄子夫婦の三男です。
石田大輔コーチも子供のころから卓球をしており、全日本選手権大会などでも活躍、スウェーデンリーグやデンマークリーグで活躍した卓球選手でした。
現役引退後はミズノの社員として会社員生活をしていました。
ミズノでの仕事は天職だというほどやりがいを感じていたそうですが、早田ひな選手に自分の人生を懸けるほどの将来的なポテンシャルを感じたことからミズノを退社し早田ひな選手の専属コーチとなりました。
早田ひなにとって石田大輔コーチはどんな存在?
インスタグラムより
早田ひな選手は2年前のインタビューで石田大輔専任コーチのことを
お父さんとお母さんが一緒になった感じ
と話していました。
石田大輔コーチは早田ひな選手の技術面だけでなく健康管理も受け持っており、毎日の食事も作っているそうです。
「ひなは一度にたくさんの量を食べるよりは細かく数回に分けて食べることが多い。必要なエネルギー補給のために、練習の合間に鶏むね肉の低温調理などの消化が良いものを僕が作っています。朝スーパーで鶏肉を買って、練習して、昼に料理してまた練習の日々です(笑)。でも、性分に合っているのか、楽しみながらやっていますよ」
卓球のコーチだけじゃなく、食事を作るのも大輔コーチなのね!
お母さんみたいって言われるわけがわかったよ
親子ほど年が離れたふたりは、公私ともに二人三脚で卓球に打ち込んでいます。
早田ひなと石田大輔コーチは東京オリンピック代表を目指し闘った
高校3年時の早田ひな選手(Rallysより)
早田ひな選手の専任コーチとして石田大輔コーチが就任した直後、2015年の全日本卓球選手権大会ジュニアの部で優勝します。
2016年、北九州市の希望が丘高等学校に進学すると1年生ながらインターハイ女子シングルスで優勝という快挙もなしとげます。
また、この年にはITTFワールドツアークウェートオープンU-21でツアー初優勝、その後は破竹の勢いで世界の舞台で優勝するなど華々しい活躍を続けます。
しかし、日本卓球女子には同じ年の平野美宇選手&伊藤美誠選手や石川佳純選手などの強敵が存在しており、2021年の東京オリンピック代表にはあと一歩及びませんでした。
早田ひな選手はリザーブ選手に選出されましたが、出番は一切なくサポート役に徹していました。
早田ひなとコーチの石田大輔は本当に仲がいい!
早田ひなインスタグラムより
早田ひな選手と石田大輔コーチとの関係が家族同然で超仲がいいということは、早田ひな選手のインスタグラムの投稿からもわかります。
一緒にアイスクリームを食べたときの画像なのですが、まるで実の親子か年の離れた兄妹か・・・というくらい、打ち解けて自然体で早田選手が超リラックスしている様子がわかります。
20年にわたり培われてきた早田ひな選手と歴代の石田コーチとの信頼関係があってこそ、早田ひな選手が大舞台でものびのびと試合をすることができるのだなと思いました。
東京オリンピック落選が早田ひなを強くした
この東京オリンピック代表落選が早田ひな選手を一層強くさせる糧となったそうです。
東京五輪の落選が決まってからの数日間は、自分を追い込んで、逃げずに頑張ろうと思った。
鬼気迫るほどの量の打ち込みと、深夜までサーブ練習を繰り返していたそうです。
そんな早田ひな選手をそばで見ていた石田大輔専任コーチは
五輪の落選があって、だからこそ頑張りたいという気持ちが強かったと思う。
僕以上に苦しい中でも、明るく楽しく練習を頑張っていた
と話していました。
早田ひな選手は東京オリンピックに出場できなかった悔しさを乗り越え、2021年に行われたアジア選手権では、女子シングルスと女子団体、それに混合ダブルスの3種目で優勝を果たしました。
2024年1月28日、パリオリンピックの代表選考レースの最終戦となる全日本選手権の決勝で早田ひな選手は張本美和選手を4-0のストレートで破り、2年連続3度目の優勝に輝きました。
選考ポイントで2位以下に圧倒的大差をつけて早田ひな選手はパリオリンピックへの切符を獲得しました。
パリオリンピック内定したときに投稿された石田大輔コーチのインスタグラムのメッセージが、早田ひな選手の歴代コーチ3人の思いが集約されていると思いました。
正式にパリオリンピックの切符を手にしました。
この道のりに関わってくださった皆さんのお陰です。
ありがとうございます。
そして、本当にコツコツとひな自身が積み上げてきた努力の賜物だと思います。明日正式な切符を勝ち取れる日が来るかもしれないと考えていたときに私の存在は本当に微々たるもので、私がいなくてもここまでの道のりはあったかもな〜と、ひなの努力する姿を見てきたからこそ、ポジティブにそう思ったりしていました。
ただやっぱりラケットを握るところ、まだ卓球の言葉の意味もわからない4歳からひなを育ててきた男先生と女先生がいなかったら今のひなは絶対にないということは間違いないと思います。
ひなの能力を見抜き大切に卓球を伝えてきてくれたこと、この両ハンド攻撃スタイルをコツコツと指導してきてくれたこと。
引いて打つ、しっかりとドライブを打つ、
その技術は小さな子供にはまだ理解も難しく何年も何年も毎日続けてやっと出来るようになる基本の大切な技術。今度はそのひとつを試合で発揮出来るようになるまでには、またどれだけ難しく途方ものない反復練習の繰り返しが必要であるか。更にはその技術は幼いうちに無意識に神経系統、深層心理にもインプットされ、それが世界トップレベルに達していく中で軸となり、その軸がどれだけ大事なことであるか、多くのトップ選手を長年見てきたからこそ身に沁みています。その軸となるものを大事に指導してくれてきた男先生と女先生があってこその今だと思います。
私は幸いにも真近でその指導をみてこれたことは最大の道標でもあり、今でもアドバイスをもらえることは心強くあたたかい支えでもあります。
パリオリンピックへの切符を今日獲得しました。
今度はそのパリオリンピックでひなが最大限に輝けるように突っ走ります。大切にバトンを受け取ったからこそ、大切に頑張ります!
早田ひな&石田大輔コーチはフランスに旅立った
早田ひなは現在世界ランキング5位
インスタグラムより
1位から4位は中国勢、5位が早田ひな選手で6位も中国、7位に張本美和選手がランキングされています。
パリオリンピックで金メダル獲得するには、上位ランカーの中国勢を撃破することが必要となってきます。
早田ひな選手を育ててきた石田卓球クラブの創設者・石田眞行コーチは
「ひなの強さは本物。(これまでメダルを独占してきた)中国勢に勝って、悲願の金メダルを取ってほしい」
と新聞社のインタビューに答えていました。
早田ひなは石田大輔コーチとフランスへ!
早田ひな選手は、本日(2024年7月18日)にフランスへ向けて出発しました。
出発直前のインタビューで早田ひな選手は
パリに行けば、よりオリンピックを感じると思うので、しっかりいろいろなものを味わって調整していきたい。
自分たちが最大限できること、オリンピックのために準備してきた3年間をすべて出し切りたい
と意気込みを話していました。
パリオリンピックの卓球は、大会2日目の7月27日から8月10日まで行われます。
早田ひな選手が全力を出し切って最高のパフォーマンスを発揮できることを願っています!
【7/26追記】早田ひなと石田大輔コーチはパリでも自然体だった
五輪マークの前で両手を広げ笑顔の早田ひな選手、とてもリラックスした雰囲気に見えます。
なぜこんなに早田ひな選手がリラックスしてはつらつとしているのかというと・・・
早田ひな選手のインスタグラムのストーリーズの画像です。
五輪マークを見つけて全力ダッシュで台を駆け上る石田大輔コーチの後ろ姿が・・・!
負けじと追いかける早田ひな選手、どんだけスピードが出ていたかは早田ひな選手のポニーテールが物語っていますね。
添えられたメッセージは
躍動満載!!
(おじさん転けそう)
このとにかく明るくおおらかな石田大輔コーチの人柄があってこそ、早田ひな選手が海外の大舞台でも萎縮せずにいつもと同じ力が発揮できる秘密なんだなと思いました。
早田ひな選手と石田大輔コーチが二人三脚で歩んでこられた成果が発揮できますように・・・!
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