松田詩野・東京オリンピック内定取り消しの理由は?パリ五輪サーフィン女子

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パリオリンピックのサーフィン女子日本代表の松田詩野選手。

モデル顔負けのルックスとスタイルの良さでも大人気です。

そんな松田詩野選手、「東京オリンピックの内定取り消し」という過去がありました。

松田詩野選手の東京オリンピック内定取り消しとはどのような経緯だったのか?

また、その苦境からいかにして今回のパリオリンピック代表の座を獲得したのか?

当時の松田詩野選手のインタビューなどを徹底調査してみました。

かわいい松田詩野選手の画像満載でお伝えします!

目次

松田詩野が超かわいい!サーフィン・パリ五輪日本代表

松田詩野プロフィール

インスタグラムより

名前:松田詩野(まつだしの)

生年月日:2002年8月13日

年齢:21歳(2024年7月2日現在)

出身:神奈川県茅ヶ崎市

身長:158cm

スタンス:グーフィー

ホーム:ブレイク茅ヶ崎

所属:TOKIOインカラミ

松田詩野選手はパリオリンピックのサーフィン女子日本代表として、現在タヒチ入りしています。

松田詩野選手のインスタグラムには連日の練習の様子が投稿されており、とてもいい雰囲気でオリンピック前の充実した時間を過ごしていらっしゃることがわかります。

松田詩野・サーフィンを始めたのは6歳だった

2016年第51 回全⽇本サーフィン選⼿権⼤会で優勝(インスタグラムより)

松田詩野選手が両親の影響でサーフィンを始めたのは6歳の時でした。

サーフィン教室で初めてサーフボードに立つことができた時、陸上では味わえない何とも言えない楽しさを感じたそうです。

中学2年の時、「第51 回全⽇本サーフィン選⼿権⼤会」「第34回全⽇本級別サーフィン選⼿権⼤会」にて優勝。

「超かわいい中学生サーファー」として国内で注目を集めます。

松田詩野選手は中学3年でプロサーファーになります。

Naminori JAPAN U-16 にも選出され、2018年に世界ジュニア選⼿権U-16で準優勝を獲得!

世界ランキングもぐんぐん上昇し始めます。

2019年には「第1回ジャパンオープンオブサーフィン」で初代⼥王となり、そこから5年連続で⽇本代表⼊りを果たしています。

2021年にはWSL CSアジアランキングで1 位に!

2023 年1 ⽉にはWSL QS3000「La UnionInternational Pro」での優勝を⽪切りに、6⽉にはISAワールドサーフィンゲームスにてアジア最⾼位を獲得。

松田詩野選手は、世界でも屈指のトップサーファーなのです。

松田詩野の「東京オリンピック内定取り消し」とは?

松田詩野・なぜ東京オリンピックの内定を取り消された?

松田詩野選手は2024年パリオリンピックの日本人内定第一号でした。

しかし、松田詩野選手には2021年に開催された東京オリンピックでの「内定取り消し」というつらい過去がありました

2019年、宮崎で行われた ISA世界選手権大会で松田詩野選手は15位のアジア最高位をマーク、当時17歳の高校生だった松田詩野選手は「東京オリンピック出場へ条件付きの内定」を獲得しました。

「17歳の高校生・しかも超カワイイ」ということもあって、松田詩野選手は日本中の注目を集め「ニューヒロイン誕生」と話題になりました。

しかし、コロナ禍で2020年に開催されるはずだった東京オリンピックが1年延期されたことで松田詩野選手の運命が一転します。

2021年のエルサルバドルで開催されたISA世界選手権で41位となり、日本人上位2名の枠から外れてしまったのです。

予定通り、2020年に開催されていたら出場できたはずの東京オリンピック。

1年延期されたことで、松田詩野選手の東京オリンピックへの出場は叶いませんでした・・・

松田詩野・14歳の時にサーフィンがオリンピック種目に決定

14歳の松田詩野(インスタグラムより)

松田詩野選手が14歳の時、オリンピックでサーフィンが正式種目として採用されることが決定しました

この時期はちょうど松田詩野選手がプロサーファーになる少し前で、日本の大会をものすごい勢いで席巻していた時期でもあります。

この年にオリンピックにサーフィンが決まったことは、素直に嬉しかったです。
NSAの記者会見にも選手の一人として同席させていただいたんですけど、その時は自分がオリンピックに出て、どういうふうに戦っていこうかとかは、全然考えていませんでした
でも、4年後ということで自分の年齢(18歳)とかを考えると、もし、自分が出れたらいいなっていう思いは、少しはあったかもしれません

サーフィンがオリンピックの正式種目となった初めての大会・東京オリンピックへの切符を一度は掴んだ松田詩野選手。

コロナ禍で夢の五輪切符を手放さなければならなかったときの気持ちはどれほど悔しかったことでしょう・・・

高校生の女の子にとっては、辛くて残酷な「オリンピック内定取り消し」だったことと思います。

松田詩野はコロナ禍で練習もままならなかった

2020年の松田詩野(インスタグラムより)

条件付きとはいえ、内定を頂いたことについては、正直、嬉しかったです

2020年、東京オリンピックの内定をもらった時は、条件付きとはいえとても嬉しかったそうです。

コロナ禍で練習も思うようにできず、大会も長期間開催されず・・・

ハワイで自主トレを行い、課題だった「スピード」を上げるトレーニングに集中したそうです。

スピードを上げると当然リスクが伴います。

肩の亜脱臼と闘いながらトレーニングを繰り返したそうです。

松田詩野は東京オリンピックへの内定が取り消された

2021年6月エルサルバドルの大会での松田詩野

2021年7月に開催された東京オリンピックへのサーフィン女子の出場枠は2名でした。

東京オリンピックへの出場が決まるエルサルバドルの大会で、松田詩野選手はまさかの41位・・・

他の選手(前田マヒナ選手&都筑有夢路選手)が松田詩野選手よりも上位にランクインしたことで、松田詩野選手の「東京オリンピック条件付き内定」が取り消しとなってしまいました。

松田詩野選手は、東京オリンピックの内定をもらっていたのに、1年延期されたことで出場できなくなった時の気持ちをこのように話していました。

実際に試合が終わって、すごく悔しくて、悔しくて。
本当に、素直に試合が好きで、勝ちたいっていう気持ちが、自分の中に強くあったんだなって、その時、実感したんです

松田詩野・オリンピック内定取り消しで気づいた大切なこととは?

松田詩野選手は「周りの人たちのため」に頑張っていた

2020年・17歳・高校生の松田詩野

東京オリンピックへの「条件付き内定」が決まった時、17歳で超かわいい高校生だった松田詩野選手は一躍時の人となりました。

メディアの取材も多く、「何か期待に応えなくちゃいけない」というような気持が膨らんでいったと言います。

期待に応えるということだけを考えて、試合に臨んでいたのかもしれません。
今考えると、そこに自分の気持ちがついていってなかったのかなって

「応援してくれている人に、良いサーフィン見せたい、サーフィンを通じて勇気や夢を与えたい」とメディアで発言していた松田詩野選手。

もちろんそこに嘘は一切ありませんでした。

しかし、「周りの人のため」ということにすべてのエネルギーを使っていたようなのです。

松田詩野選手は「自分」の気持ちを一番に考えるようになった

2022年4月の松田詩野

まわりの人の為にというエネルギーだけで、頑張っていたかもしれないですね。
自分が良い結果を残したいという強いエネルギーを持ってやっていった方が、本当は気も楽になるし、楽しめたし、結果も出たのかなって

そこから気持ちを切り替え「自分の気持ちを大切にすること&試合で勝ちたいという気持ちを押し出していく」ようにしたそうです。

高校生の女の子が味わった天国から地獄・・・

想像を絶する辛さだったと思います。

いかにして松田詩野選手はモチベーションを取り戻して今回のパリオリンピック出場を勝ち取ったのでしょうか?

もう一度、前を向いて進んでいけたのは、やはり、まわりのサポートしてくれている人の応援と家族のサポートだったと気づいたんです。
1人だったら、こんなにすぐ次に向かえなかったと思います。
次があるんだっということで、すごく救われましたから

周りの人への感謝、家族への感謝、これが「東京オリンピック内定取り消し」のあとに松田詩野選手が気づいたもっとも大切なことだったようです。

松田詩野はパリオリンピックへ向けて準備万端!

松田詩野インスタグラムより

松田詩野選手が出場するサーフィン女子予選ラウンドは7月28日から始まります!

大会を前に現地で取材を受けた松田詩野選手は

どんな経験もすべて自分の成長につながっている。
全ての過程が自分を強くしてくれた。

東京は(出場を)逃したが、周りのサポートがあって、タヒチの舞台に立てる。
オリンピックでは全ての瞬間を楽しみたい

東京オリンピック内定取り消しの過去があったからこその「強くなった」松田詩野選手の最高のパフォーマンスを期待しています!

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