連日、「不倫問題」でネットニュースを賑わせている中村芝翫(なかむらしかん)さん。
中村芝翫さんは4人きょうだいです。
お姉さんが二人、お兄さんが一人、末っ子が中村芝翫さんになります。
ネットで「中村芝翫」と入れると「兄は誰」「兄・勘三郎」などが表示されます。
中村芝翫さんと中村勘三郎さんの関係は「兄と弟」なのでしょうか?
中村芝翫さんの姉二人と兄は誰なのでしょうか?
調べてみました!
中村芝翫は4人きょうだい(姉兄弟)
歌舞伎俳優の中村芝翫(なかむらしかん)さん(58歳・2024年7月12日現在)には、姉が二人&兄が一人います。
長女:光江(みつえ・66歳)
次女:好江(よしえ・65歳)
長男:栄一(えいいち・63歳)=中村福助(なかむらふくすけ)
次男:幸二(こうじ・58歳)=中村芝翫(なかむらしかん・当代・三田寛子の夫)
※以下本文中の年齢は2024年7月12日現在
中村芝翫さんは4人きょうだい(姉兄弟)の末っ子でした。
中村芝翫さんの兄は中村福助さんで、中村勘三郎さんではありませんでした。
中村芝翫さんのきょうだいをそれぞれ詳しく見ていきましょう。
中村芝翫・一番上の姉は日本舞踊中村流家元
毎日新聞より
中村芝翫さんの一番上の姉は光江さんで、日本舞踊家の中村梅彌(なかむらうめや)さんとして活躍中です。
中村梅彌(なかむらうめや)
本名:石川光江(いしかわみつえ:旧姓・中村)
生年月日:1957年12月12日
年齢:66歳
出生地:東京都港区
両親:七代目中村芝翫(父親)・中村雅子(母親)
2011年10月、長女の光江さんは、亡くなった父・中村芝翫さんの跡を継いで「二代目中村梅彌(なかむらうめや)」として日本舞踊「中村流」の家元を継承していらっしゃいます。
日本舞踊「中村流」とは
文化・文政期に活躍した歌舞伎役者である三代目中村歌右衛門を流祖とする流儀。
歌舞伎の成駒屋の役者が代々家元を継承しており、歌舞伎所作の本筋を重視しているのが特徴である。
現在の中村流の宗家は九代目中村福助さん(現在の中村芝翫の兄)、相談役は八代目中村芝翫さんとなっています。
中村流の家元の稽古場は中村芝翫さんの実家で、今現在、不倫相手と同棲生活をしていると言われている家になります。
詳しくはこちらの記事をご覧ください↓
中村芝翫・二番目の姉は故・中村勘三郎の妻
中村芝翫さんの二番目の姉は、亡くなった中村勘三郎さんの奥さんです。
次女の好江さんが中村勘三郎さんに嫁いだことにより、中村勘三郎さんは中村芝翫さんの義理の兄になりました。
中村芝翫さんにとって中村勘三郎さんは「姉の配偶者」で、義理の兄と弟の関係になります。
本名:波野好江(なみのよしえ:旧姓・中村)
生年月日:1959年4月12日
年齢:65歳
出生地:東京都港区
配偶者(夫):故・十八代目中村勘三郎
両親:七代目中村芝翫(父親)・中村雅子(母親)
中村芝翫さんの姉・好江さんは、亡くなった勘三郎さんとの間に二人の男の子がいます。
好江さんの家族(子供と孫)は・・・
長男:波野 雅行(なみの まさゆき・42歳)=六代目 中村 勘九郎
次男:波野 隆行(なみの たかゆき・41歳)=二代目 中村七之助
義理の娘:波野 愛(なみの あい・40歳)=前田 愛(女優・長男勘九郎の嫁)
孫:波野 七緒八(なみの なおや・13歳)=三代目 中村 勘太郎
波野 哲之(なみの のりゆき・11歳)=二代目 中村 長三郎
中村芝翫さんにとって、勘九郎&七之助兄弟は「甥(おい)」にあたります。
また、勘太郎さんと長三郎さんは甥の子供にあたり「又甥(またおい)」という関係になるのだそうです。
中村芝翫さんの親戚、男性はみんな歌舞伎役者なのね
中村勘三郎さん&好江さんの次男・中村七之助さんは熱愛報道が出て、結婚間近と言われています↓
中村勘三郎さん&好江さんの孫・中村長三郎さんがめちゃくちゃ可愛いです↓
中村芝翫・兄は歌舞伎役者の中村福助
中村芝翫の兄・中村福助は美貌の女形
大病をする前の中村福助・「助六」で揚巻を演じる福助
中村芝翫さんの兄・栄一さんは歌舞伎役者の中村福助(なかむらふくすけ)さんです。
中村福助(なかむらふくすけ)
本名:中村栄一(なかむらえいいち)
生年月日:1960年10月29日
年齢:63歳
出生地:東京都港区
配偶者(妻):中村香璃(なかむらかおり)
子供:長男:中村 優太(なかむら ゆうた・30歳)=六代目 中村 児太郎(なかむら こたろう)
長女:中村佳奈(なかむらかな・27~28歳と思われる)
両親:七代目中村芝翫(父親)・中村雅子(母親)
中村児太郎(なかむらこたろう)時代から可憐な美貌で知られる女形さんでした。
名門成駒屋の立女方(たておやま=人気&実力が伴い主役を張ることができる女形役者のこと)として活躍されており、2014年3月に成駒屋の大名跡「中村歌右衛門」を襲名することになっていました。
中村芝翫の兄・中村福助は生死にかかわる大病をした
中村福助インスタグラムより
襲名が発表された2か月後、中村福助さんは脳内出血という大変な病にみまわれました。
その後、闘病生活が続いており、中村福助さんの歌右衛門襲名は無期限延期になってしまいます。
発症当時、医者から「巨大な脳出血。生きるか死ぬか、よくても車いす生活」と言われたのだそうです。
脳内出血により、役者生命は絶望的かと思われていましたが、中村福助さんは「歌舞伎役者としてもう一度舞台に立ちたい」と、懸命にリハビリに励まれました。
その甲斐あって2018年9月、奇跡的に舞台に復帰することができました。
今もまだ脳内出血の後遺症の影響が残っており、演じることができる役柄は限られているようです。
中村福助さんは現在もリハビリを続けながら歌舞伎の舞台に立っていらっしゃいます。
中村芝翫は4人きょうだいの末っ子
中村芝翫は歌舞伎界の名門「成駒屋」の末っ子
中村芝翫さんは、七代目・中村芝翫さんと妻・雅子さんの間に4人きょうだい(姉&兄弟)の末っ子として生まれました。
中村芝翫(読み方:なかむらしかん)
本名:中村幸二(なかむらこうじ)
生年月日:1965年8月31日
年齢:66歳
出生地:東京都港区
父親:中村 眞喜雄(なかむら まきお)後の中村 榮次郎(なかむらえいじろう)=七代目中村芝翫
母親:中村雅子(なかむらまさこ)
祖父:中村 慶次(なかむら けいじ)=五代目中村福助
曾祖父:中村 榮次郎(なかむら えいじろう)=五代目 中村 歌右衛門
お父さんとお爺さんが同じ本名!?
何でそんなことになってるの?
昔は、武家や農家や商売をしている家では、家督を継ぐ際に先代や父方の祖先の名前(屋号のみならず個人名も)を襲名し、解明するという習慣があったためです。
祖名相続といわれ、、新しい世代に家長が代わっても、「家業はそのままですよ。先代と同じ水準の仕事をします。今までと変わらぬ商品や芸を提供します」ということを今までのご贔屓筋やお得意さんたちにわかりやすくするために、代々同じ名前を名乗っていたそうです。
今では「襲名」って伝統芸能の世界でしか聞かないけど、昔は武家や商売人や農家でも「襲名」という制度があったのね。
びっくり!
その家が獲得した社会的信用、お得意様や仕入れ先や同業者などに対して、「家長(経営者)は変わっても社会的期待を裏切ることのない努力を続けます」という、名前を襲名するということは「先祖代々の功績に恥じない働きをします」という後継者の決意表明でもありました。
そのため、現在の中村芝翫さんの父親の七代目芝翫さんは、曾祖父が亡くなったあと、ご自分の本名「中村眞喜雄」を曾祖父の名前である「中村榮次郎」に変えています。
現在の中村芝翫さんは、父親だけではなくお爺さん、曾お爺さん、その兄弟たちもみんな歌舞伎役者!
しかもみんな超大物!
義理の兄も甥も、その子供達も歌舞伎役者というゴリゴリの役者一家なのです。
中村芝翫さんは、成駒屋の御曹司として生まれた超サラブレッドであることがわかりました。
中村芝翫は若い頃NHK大河ドラマの主役も務めた
NHKアーカイブスより
歌舞伎界の超名門・成駒屋の御曹司として生まれた中村芝翫さん。
4人きょうだい(姉&兄弟)の末っ子ですぐ上の兄・中村福助さんとも5歳年齢が離れていることもあり、ものすごく可愛がられて育ったようです。
そのため・・・
怒られた記憶はほとんどない
と過去のインタビューで話しておられたのを覚えています。
4歳で本名の「中村幸二」で初舞台を踏むと、堂々とした舞台ぶりから名子役として評判に・・・
優秀な女形を次々と輩出してきた成駒屋の中では珍しく、芝翫さんは「立役」(男役)の役者として若いころから頭角を現していきました。
その活躍は本業の歌舞伎だけにとどまらず、中村橋之助(なかむらはしのすけ)を名乗っていた14歳の時(1980年)にはNHK大河ドラマ『獅子の時代』、22歳の時には『武田信玄』(1988年)に出演。
歌舞伎ファンだけでなく、お茶の間での知名度も上がりました。
そういえば、若い女の子たちの間で「ハッシー」の愛称で呼ばれていたのを思い出したわ・・・
超人気があったのよね。
極めつけは1997年、中村芝翫さん(当時は橋之助)31歳の時には『毛利元就』(1997年)で主役の毛利元就役を演じ、国民的人気者になりました。
本業の歌舞伎でも、端正ですっきりとした容姿&芝居巧者ぶりが評判となり、歌舞伎界の人気花形としての確固たる地位を築きました。