パリオリンピック柔道100キロ超級に出場した斉藤立選手(さいとうたつる)。
パリ五輪の団体戦で世界王者リネール相手に死闘を繰り広げ惜しくも敗れてしまいましたが、愚直な真面目さと明るいキャラクターでファン急増中の柔道家です。
斉藤立選手には兄が一人いて、名前は斉藤一郎さんです。
一郎さんは現在高校の保健体育の先生をしていて、柔道部の顧問でもあります。
今日は斉藤立選手の兄・斉藤一郎さんについて調べてみました。
斉藤立と兄・一郎は超仲良し兄弟だった
斉藤立と兄一郎は一緒に柔道を始めた
斉藤立選手が柔道を始めたのは、亡くなった父の斉藤仁さんの影響ではなく、大好きな兄・一郎さんといっしょにいたいためだったそうです。
斉藤兄弟の父・斉藤仁さんは、1984年のロサンゼルスオリンピックと1988年のソウルオリンピックで2連覇を成し遂げた柔道界のレジェンドです。
兄の一郎さんが小学4年生の時に自宅にあった父の柔道の映像を見て「お父さん、柔道がやりたい」と言ったことがきっかけでした。
斉藤立選手と兄・一郎さんはとても仲良しで、立選手はいつも「いっちゃんと一緒がいい」というような子供だったそうです。
そのため、当時5歳だった弟・立選手も柔道を習うことになり、兄弟そろって一緒に大阪の道場に通いはじめました。
父の死後、兄弟関係が悪化した
産経新聞より
斉藤立選手の兄・一郎さんは弟に比べて体が小さく小学校時代は柔道の試合で勝てない日々が続いたそうです。
弟の斉藤立選手は2013年12月に全国少年柔道大会で優勝するなど小学校時代から結果を残しており、兄弟で比べられたりすることも多く弟に対して嫉妬心を抱いたこともあったのだとか・・・
2015年1月20日に父・斉藤仁さんが54歳の若さで亡くなってしまいます。
父・仁さんが亡くなった時、兄の斉藤一郎さんは16歳、弟の斉藤立選手は12歳でした。
この時、斉藤立選手は自身のツイッター(現在のX)で「もう無理、立ち直られへん」と投稿していたようです。
仁さんが亡くなった後から、とても仲の良かった兄弟・一郎さんと立選手は半年近く口をきかないこともあり、激しい兄弟げんかをすることも多くなったそうです。
母・斉藤三重子さんは体も大きく力の強い息子たちの喧嘩を止めることができず、「警察を呼ぶわよ」と怒鳴ったこともあるそうです。
思春期真っただ中の偉大な父の喪失は想像以上に大きかったようで、当時の斉藤立選手は
亡くなる前は、普通のお父さんだと思っていました。
亡くなってから、凄い人だなって思って。
もっと話しておけば良かったとか、もっと柔道の話を聞けばよかったなって思います……
と、突然訪れた父の不在に戸惑っていたようです。
斉藤立と兄・一郎はともに国士舘に進学
時事通信より
斉藤立選手と兄・一郎さんはアテネ五輪の金メダリスト・鈴木桂治さんに進められそれぞれ国士舘高校と国士舘大学に進学することになります。
国士舘は亡くなった父・仁さんの母校でもありました。
兄・一郎さんは関西の大会だとそこそこ活躍できていましたが、全国レベルになるとなかなか成績を残せなくなっていました。
そんな中、弟の斉藤立選手が高校2年生で全国高校総体で優勝します。
その時、兄・一郎さんは
だせえな、俺。
弟が頑張って努力して結果を出しているのに、ひがんで素直に応援しないなんてかっこ悪い
・・・と思ったのだそうです。
斉藤仁の息子という重圧と戦い努力してきた弟のことを、同じ重圧と戦っている立場の兄として痛感したといいます。
弟の活躍を素直に認めることができるようになった兄・一郎さん・・・
必死に努力して日本一になった弟・立選手・・・
東京での学生生活の中で兄弟の仲も自然と修復されていき、元通りの仲の良い兄弟に戻ったようです。
斉藤立の兄・一郎は教職にすすんだ
産経新聞より
2021年から柔道部の監督も務めており、柔道のすそ野を広げるために地道な草の根活動をしていらっしゃいます。
兄の一郎さんは、新入部員がたくさん入ってきてくれたときはめちゃくちゃ嬉しかったそうです。
弟の斉藤立選手も「気持ちが優しい兄には指導者の道が向いている」と、兄の柔道部の監督としての活躍を楽しみにしているようです。
選手として日本の柔道を背負って世界で戦う斉藤立選手と、柔道初心者の高校生たちに向き合い柔道の魅力とすばらしさを伝えていくことを仕事にした兄・斉藤一郎さん。
同じ柔道に携わる兄弟は、父・仁さんから受け継いだ大事な精神を次世代に伝えるという使命を果たそうとされているのかもしれないなと思いました。
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